面会交流の意義
【面会交流について】
離婚後の親子が会うことを「面会交流」と言います。
特にご夫婦の離婚後に、2人の間に生まれた子どもたちは複雑な環境下に置かれます。
たとえ、ご夫婦の仲が悪くても、婚姻中の2人は「両親」として存在していますが、離婚後は単独親権下にあるために、片方の親(同居親)とのみ生活を送ることがほとんどです。
一緒に生活できなくなった側の親(別居親)にとっては、子どもとの別れは寂しいものであり、そして子どもにとっても片方の親に会えなくなることはとても大きな喪失感を味わうことになるかと思います。
しかし、離婚に至る理由があっての夫婦の別れですので、夫婦間には多くの葛藤が存在します。
比較的円満な離婚であればよいのですが、浮気や暴力、精神的暴力(モラハラ)などが背景にある場合は元配偶者の顔を見たくないなどの感情から、子どもを会わせることを拒むケースも出てくることはある意味、大人の立場からは仕方のないことかと思われます。
ただ、そういった夫婦でも、考えなければならないのは、「子どもの本当の気持ち」ではないでしょうか。
子どもたちは子どもなりに、離れて暮らすもう一方の親への思いというものがあり、通常はその感情を封印して生活していることが多いように思います。
離婚前・離婚後に、夫婦間に葛藤があったとしても、子供のために双方ができることをしてあげようと努力してはいただけないかと、私たちは考えます。
そのために「面会交流」という考え方(制度)があり、子どもがもう一方の親に会う権利があると考えられています。
残念ながら、面会交流は現時点では法律の規定があるわけではなく、努力義務のような形となっていますが、面会交流の取り決めを守らなかった側への慰謝料請求や、間接強制(罰金のようなもの)なども行われるようになっており、離婚の際に取り決めを行う必要性のある大事な条項となってきています。
単に離れて暮らす親が子どもに会いたいということだけではなく、子どもが自分の親に会うことで学ぶことや、子どもの自我の形成など、子どもにもメリットがあると世界的にも考えられるようになり、面会交流というのは日本でも年々大きな問題となってきています。
当然のことながら、子どもが自分の本当の気持ちとして面会交流を拒むケースもありますので、強制することはできないとも考えています。
ただし、そのお子さんが同居親の顔色をうかがっての発言というケースもありますので、当事者同士、そして家裁の協力を得て、バランスの取れた判断を親が受け止めていかなければならないと感じています。
もちろん、婚姻中にDVやモラハラがあった同居親にとっては、面会交流は簡単には許容できることではありません。
相手方はまるで自分が被害者のように同居親に対しての文句を言ったりしますので、離婚後も心休まることがないように感じてしまうと思います。離婚後もモラハラが続いているのと同じような気持ちになることも多いと思います。
ただ、当団体を利用する同居親さんは、面会交流を成立させようと努力をされています。家裁での取り決めだから仕方なく、という状況かと思いますが、この同居親さんの負担を少しでも減らすことが当団体の最大のミッションであると思います。
一方、面会交流によって傷つく子どもも少なくありません。
別居親による「同居親に対する干渉や悪口」に関する子どもの利用・監視などもあるのが実情です。
面会中も別居親による子どもへの質問が障壁となることもあります。例えば、「今日はご飯食べて来たの?もっとこういうものを食べた方がいいんじゃないの?」、「最近はどこに行ったの?誰と行ったの?」などの発言は子どもに不用意なプレッシャーを与えることがあります。生活を詮索するような発言は控えなければなりません。子どもたちは非常に敏感です。
基本的には一緒に生活している同居親側のフォローが大事なものになりますが、結果的には別居親が離れていてもいかに自分の子どもの気持ちを冷静に受け止められるかだと思います。
当支援室は両方の親を支えつつ、子どもたちの支援となることを目的としています。
面会がすべての子どもに幸せな結果を生むわけではないのですが、同居親も別居親もそれぞれに一歩引いてみて、子どもの気持ちを理解してあげてください。
その先に子どもの幸せを見守る親がいれば、幸せな道への大きな一歩となるのかもしれませんね。
【面会交流のポイント】
面会交流の際に大事なのは、「子どもの気持ち」を考えてあげることです。
大人の都合で、つい忘れがちになってしまうのですが、常にこの意識を持ち続けなければ面会交流はうまくいきません。
別居親が、離婚後の生活を根掘り葉掘り聞けば、子どもも自分が利用されていると感じます。別居親が同居親の悪口を言えば、子どもも不快感を感じます。
同居親も、別居親に対する否定的なことを子どもに言えば、子どもはその間で悩み、面会交流そのもの以上に親の存在も負担になることもあります。子どもが不安定な気持ちになってしまうようであれば、それは同居親側にとっても良いことではありません。
両方の親は、子どもが誕生した際に元々両方の親の存在があったことを理解してあげてください。相手方を否定する言動を子どもにすれば、結果的に子どもの一部を否定することになり、子どもにモヤモヤ感が発生してしまいます。子ども自身が自分が否定されているような気持ちになってしまうことも少なくありません。
別居親も、現在の子どもの生活は自分と暮らしていた頃とは全く違う生活があることを理解してください。
今の生活を詮索したり、同居親との離婚前のトラブルなどを自分側に都合よく言い訳をしたり、子どもたちの今の生活を否定しないでください。夫婦の紛争はすでに終わっています。いつまでも紛争時にとどまらないでください。そこが理解できれば面交の質も変わります。
同居親が再婚をする事態になっても、相手方や子供は自分のものではないのでいつかはそういう日もやってきますので、冷静に対処してください。
憎しみなどの感情は子どもだけでなく、自分の心をも傷つける結果となることがあります。
常に相手を尊重し、自分とは違う人生があることを認めてあげてください。それが離婚なのです。同居親には同居親の、別居親には別居親の人生があります。
実際に子育てをする大変さは離婚後の別居親でも理解できると思います。自分が小さな子どものめんどうを見ていた頃、大変でしたよね。同居親はそれをずっと続けているわけです。子育てと介護ほど人生で大変なことはありません。やってくださる方に感謝の気持ちは必要だと思います。
元夫婦は「敵」ではありません。元々の「他人」に戻るということだけです。
いくら憎しみを抱えていても、自分は子どもたちにとっての「かけがえのない親」であるという気持ちを持ってみてください。一人の大人として「他人」に対するリスペクトは必要です。
相手方を敵認定し、悪口の応酬をしても、誰が得をするでしょうか。子どもが傷つくだけではないでしょうか…。
誰も得をしない感情に振り回されずに、「状況を受け止める」そして時には「親として折り合いをつける」ということを考えてみてほしいのです。
相手方からモラハラを受けたりしたケースでは、相手方の文句を言うな、ということまで言ってるわけではないです。そういう被害に遭った方はご自身の親御さんやご友人に愚痴をこぼしたり、文句を言ってください。子どもの前では控えましょう、ということです。
双方が「子どものためにできること」のベストを尽くし、離婚によって子どもに迷惑をかけてしまったことを補うように、お互いが「両親であり、良親であること」を忘れずに、長く優しく、面会交流を続けられるように努力をしていただけたらと思います。
子どもが大きくなれば、あまり面会交流はなくなります。子ども自身が望まなくなったり、学校が忙しかったりするためです。
面会交流はわずか数年間のことという考えもあります。短い期間だからこそ、元夫婦の努力あってこその子どもの養育です。
離れて暮らしていても、養育費や面会交流というつながりにより、子どもがどちらの親にも愛されているという実感を持つことが大事なのではないでしょうか。
例え、面会交流を拒む子どもがいたとしても、両方の親に愛されたという何らかの実感を持てたら、その後の子どもにとって心のバランスを取るために大事なものになると思います。
【面会交流と元夫によるDV・モラハラ問題】
面会交流の実現が難しいものに、別居親である父親の婚姻中のDV・モラハラ(モラルハラスメント=精神的DV)があったケースが多いです。
DVだけに限らず、浮気などが原因の離婚などでは、どうしても夫婦間にわだかまりが残り、感情面から子どもの面会交流を認めないということが多いかと思います。
この問題は単なる感情面だけに留まらずに、浮気やDVにより、母親にかなりの精神的ショックがあることから、なかなか簡単には解消のできることではありません(お父さん側に限らず、お母さん側の浮気や虐待問題からの離婚もあります)。
そして、浮気が原因の離婚のケースは父親も他の女性に走るために、面会交流を求めることも養育費を誠実に支払うケースもかなり少ないのですが、DVやモラハラによる離婚の場合は、父親側が離婚後もモラハラの一環として、親権者変更や面会交流を求めて、調停や審判、訴訟を連発するといった「裁判所を利用したモラハラ(リーガル・ハラスメント)」を押し進めて来ることもあります。
こういった調停なども、元々婚姻中に妻子への愛情がきちんとあったものは離婚後も子どもに会いたいという純粋な気持ちから起こすことも多いので、そういったケースでは父親側が当然の権利の行使となるのですが、婚姻中には妻子に目もくれず、妻に暴言を吐き、自分の好きなことだけをやっていたような父親が離婚となった時に逆ギレのように攻撃(調停・訴訟の連発)してくることがあります。
このケースでは母親も完全に面会交流の拒否を行いますし、さらに家裁でも高裁でも面交を認めないこともあるために、さらに逆上して訴訟を連発するという悪循環に至る場合もあるのです。
こういったモラハラ系の父親は自分が精神的DVをしていたという自覚がなかったり、その行為をDVと認めないことも多いです。
そのために、いつまでも関係性を変えることができずに、双方が対立したままとなります。
まずは自分がしていたことが良くないことであったのかもしれないということを少しでもいいので自覚して、今後の関係性を変えなければ、母親側も面会交流などは認めないでしょう。そのことを子どもに説明してしまえば、子どもも父親に会いたいとは言えなくなってしまいます。
逆に、母親側も、自分が親権者であるという強い権利を持っているので、報復の意味合いでの面会交流拒否や、感情に任せての面会交流拒否もあり、なかなか難しい面がありますし、時には調停の際にありもしないDVを離婚原因に挙げて面会交流拒否や離婚自体を争うような人もあり、男女共に問題があるケースもいろいろあるのが実態です。
こういった対立関係にある親たちの間に立つのが、「子どもたち」です。
子ども自身が本当に面会拒否をしているのでなければ、まずは家裁の試行面会を経て、子どもがその交流にどう思うのか、家裁側はどう判断するのかを見てみましょう。
そして、子どもが父親に対してどういう感情も持つのか、母親も子どもを信じて、子どもの判断に委ねるということも必要なのかなと考えています(のちに面会交流を拒む調停を申し立てることが必要になるケースもあります)。
夫婦としては対立関係にあっても、子どもとはそうではない場合もありますし、父親が悪かったことは子どもが正直に父親に指摘するケースもあります。
離婚後に子どもから言われることで、父親も自分の言動に気づいていけるということもあります。
婚姻中はどうしても対立関係にあり、離婚後も葛藤が続く元夫婦間でも、離婚後に子どもを媒介にそれぞれが「子どものためにできること」を考えられるようになり、面会交流が長く成立するケースもあるのです。
父親の悪いところも良いところも、子どもが自分の目で見て、自分で判断する。
そして、母親の悪いところも良いところも、子どもが生活の中で気づき、自分で判断する。
子どもは大人たちをしっかり見ています。そして、傷ついています。…そして、成長し、彼らも大人になっていくのです。
子どもが正しく親の姿を判断する。
そういう子どもの目を信じて、フォローをしつつ、子ども自身が何を得るのかの判断を任せることも必要なのかもしれませんね。
親が思う以上に、子どもは親のことを見ているんだと思います。
ただし、子どもに全てを決定させるという意味ではありません。親として子どもの状況をしっかり見つめ、適切な交渉ができていけたらいいですね。
子どもが小さい時間はわずかです。わずか数年です。
そのわずかな時間を、離婚をしても「両親」である2人が、良い意味での妥協をするも良し、面会交流の意義を理解するも良し、たった2人の親が子どものためにできることを考えてあげていただきたいと思うのです。
DVの被害に遭っても、何が何でも面会交流が必要だとは言いませんし、押し付けもしません。むしろ難しいでしょう。
実際に、面会交流を口実に子どもに嘘を吹き込むケースや、現在の生活を根掘り葉掘り聞き出そうとするケースや、元妻に嫌がらせをしたいがために面会交流を強行に求めるケースや、現住所を知りたいがために子どもを利用するケースなど、非常に困ったケースもあるのが現実ですから、簡単には成立できない夫婦もいるでしょう。
しかし、近年は家裁により、身体暴力以外のDV(モラハラなど)があったケースでも面会交流を実施するように調停で勧められたり、審判決定が出ることがほとんどとなってきたため、自分ひとりでは対応できないケースが増えています。そういった場合のために私たちのような面会交流支援者という存在があります。
夫婦間の対立と、子どものことを分けて考えるということは必要かと思われます。
夫婦の対立により、離婚が今生の別れになる親子もいます。親子が一生会えないということはできれば避けたいです。
離婚前のいざこざから、親子間の葛藤がある子どももいます。そういう経験のある子どもが面会交流に積極的になれないケースもありますので、無理強いすることはできません。
それでも、数度の面会交流から、別の感情が生まれることもありますし、むしろマイナスという判断をされるのであれば、再度の調停や調整を経て、面会交流の停止や回数減という措置を取る必要もあるでしょう。
子どもが面会交流に積極的ではないのは、同居親による悪口の吹込み(片親疎外症候群)があるせいだと決めつけて、別居親が調停や訴訟をごり押しするケースも近年は増えています。
本当にそういうことがあるケースなのか、単なるモラハラ的な考え方かは、真実の受け止め方は子どもにあるということですが、子どもがどちらの親にも本音を言えないことも多いので、両親共に子どもの気持ちに沿った行動をしていくことが望まれます。
別居親側になるのは、何も男性ばかりではありません。夫からのDVにより、家を追い出され、悲しみからうつ病になり、まんまと離婚を成立させられ、子どもに会えなくなった母親というのもたくさんいるのです。
このケースでは家裁の裁判官や調査官が機能せず、子どもが父親の顔色をうかがって「お母さんと会いたくない」と発言したことを信用してしまい、母親が面会交流できなくなる事例もたくさんあります。
こういった母親側に面会交流の許可が出ないケースは「それ相応の理由があるはずだ」という偏見もあり、裁判所の不作為の問題は未だ大きな問題にはなっていません(母親側のモラハラ、子に対する虐待が原因で許可が出ないものは不作為ではありません。当然の判断となってしまうでしょう)。
「離婚」が「子どもから片親を奪うこと」と同じ意味であってはいけないと思います。
夫婦は離婚で構いません。しかし、離婚で親子が生涯の別れを迎えるようなことは子供にもよくありません(もちろん、全てがそうではないです)。
DVが理由であったなら、せめて子どもが大きくなって自分でしっかり意見が言えるようになった年頃にでも会わせてみようかということも将来的に考えてみてください。
そこで子どもが自分で判断するでしょうし、その後会わなくても、自分には父親がいたという実感を得られるでしょう。それは大人が思う以上に子どもの成長に役立つと思っています。
逆に子どもが傷つくような面会交流であれば、停止もできますし、子ども自身が望まなくなるために別居親も無理には面会できなくなります。
当然のことながら、面会時に子どもを連れ去るような親であれば、「子の引渡し審判」や「人身保護請求」などにより、取り戻すこともできます。そういう親であれば、面交拒否も止むを得ません。
アメリカでは、子どもに対する社会権としての「子どもの権利」というものが認められておらず、面交は子供の権利ではなく、「別居親の権利」と考えられています(アメリカとソマリアは「子どもの権利条約」に批准していない世界でたった2つの国です)。
欧米ではDVの夫にも面交させなくてはならないという考え方までありますが、さすがに日本では難しいでしょう。
当支援団体の利用者さんでも、警察沙汰となる別居親がいます。
面交の現場を離れて、子どもと同居親の生活圏において元妻へのストーカー行為、建造物侵入、暴行・暴言などが発生したケースもあります。
このようなケースではいくら面交仲介が業務という当支援団体でも、同居親を守るための活動に切り替わらざるを得ません。一部の順法精神のない別居親から子どもと同居親の生活を守ることも支援団体の業務の一つです。警察、法律事務所と連携し、不法行為に対する強い措置を取ります。
双方に我慢が求められますし、時に理不尽なこともあるでしょう。それでも、「子どものためにできること」は、両親が考えていかなくてはならない重大な宿題でもあります。
この宿題を私たち大人がどうやって処理していくのか?その答えは?
それは、子どもの大きくなった姿で、将来きっとお互いが多くのことを理解できるのかなと思います。
離婚という選択を尊重します。でも、離婚の負担を将来に渡っても子どもに押し付ける結果にならないように努力していってみてはいかがでしょうかと、不肖ながら私たちは思っています。
子どもにとって、自分を生んでくれた母親はたった一人、父親もたった一人ですが、再婚などにより新たな親が現れることもありますので、そのことも尊重します。新しい親の存在も大事なものです。血縁関係ばかりが「親子」ではありません。
別居親の方も自分が子どもだったときのことをよく思い出してみてください。
良いことも、悪いことも、それは全て過去であり、全てを受け止めて自分は生きてきたのだということを。
あなたという人を作ったのは、良いことも悪いこともあったからこそなんだと。
子どもの可能性を信じてあげたいですよね。
どこかで妥協も必要となりますが、子どもの将来を見据えて考えていきましょう。